歌めぐり旅(12)劣等生 プレヴェールの横顔

 J.プレヴェールの訳詩集の解説や評伝などで、<さくらんぼの実る頃>とかJ.-B.クレマンにふれたものは見かけません。わずかに「生はさくらんぼ/死は果核/恋は桜の木。」『王と鳥』がありました。プレヴェールがクレマンの歌を知らないはずはありません。彼は生来の気質に『幼い頃』父の救貧活動を見聞し、神父に反感を抱いたことなどが加味されて、反権力、反宗教、… のこころが育まれたのではないでしょうか。それはクレマンの思想にも通じるように思うのですが。

 シャンソニエのモンテュス(1872-1952)をネットで見ると、初期のシャンソン<赤い丘>、パリ・コミューン1871、それを歌ったマルク・オジュレやジャン・フェラなどが出てきます。プレヴェールは<血だらけのシャンソン>1939において赤い丘だけでなく殺人、戦争、貧困、拷問、折檻される子供らの血など、地上には血だまりがあって、それらは「みなどこへ行ってしまうのか」とパリ・コミューンの追想からひろがります。また、演劇などの脚本書きをつづけるなかシャンソンも作りはじめたころ、パリ・コミューン「血の一週間」のペール・ラシェーズ墓地では、彼の執筆した寸劇が披露され1932、犠牲者追悼の市民連盟祭1936が催されました。

 のちの<バルバラ>から想像されるように、第2次大戦中(1939-44)プレヴェールの詩はドイツ占領軍やヴィシー政府に睨まれたらしい。その後、久しぶりに抗議の声をあげたのは、1968年の「五月革命」でした。<ブラン・マントー通り>のサルトルも<エルザの瞳>のアラゴンも黙ってはいません。プレヴェールは<彼らは閉ざす!>で、権力が「心の叫び」を閉ざす、「血が流れるような事態」と糾弾しました。<ルノー(自動車工場)が仕事をはじめた>で収束しても、彼の怒りはおさまりません。そのあとドゴールがスペインの独裁者フランコと会食とは、なんたることか。

 「プレヴェール回顧展」1988は柏倉康夫特派員の解説(BS-Weekend Paris 6.4)で見ました。わたしのコラムも氏の『評伝ジャック・プレヴェール』に負います。映画『美しきパリParis la Belle』1959出演のプレヴェールも見られ、詩集の誕生秘話があり、児童が詩を暗唱しておりました。

    劣等生   ジャック・プレヴェール  大岡 信 訳
  頭はノンと横にふる/けれど心ではウイという/愛するものにはウイといい/先生にはノンと
       いう/……/ふしあわせの黒板に/かれはえがく しあわせの顔を。

 金子光晴の詩に「反対」というのがあり、ついそれを思い出します。
       僕は、少年の頃/学校に反対だった。/僕は、いままた/働くことに反対だ。…… 

 プレヴェールの肖像で、タバコをくわえて手摺に寄りかかる写真があります。背景はジャック・プレヴェール通りでその名の写真集(1992刊)の表紙にも使われており、撮影したのはロベール・ドアノー(1912-94)。その通りはパリ20区にありますが、いまの光景は少しちがいます。VTR『作家は語るUn Raton Laveur』1982ではプレヴェール夫妻、ドアノーらの挙措・会話が興味ふかい。2012.4たまたま彼の写真展に出くわし、1時間半も並んでカラー写真を急ぎ足で鑑賞しました。

 おなじ撮影者で「詩人とワイングラス–サン・ベルナール河岸」1955も有名です。オーステルリッツ駅と植物園に近いところ。路上の円テーブルで横顔を見せる彼はこのころ、バツイチどうしが結婚1947して数年はたっています。自分に子供ができるのはいやだったはずなのに、生まれてみれば子煩悩ぶりは人並み以上でした。その娘(1946-)は病弱で、彼を伯父さんと慕うマーグ画廊の若い店主夫妻のところで食事をすることも多かったらしい。写真に漂う孤独の影もムベなるかな。

 『ジャック・プレヴェールと彼を歌う歌手たち』というCDのリストを見たときに「オヤ!」と思った歌手がふたりいました。ティノ・ロッシが彼の歌をうたっているとは知らなかったのです。1940年ごろ彼はなんといっても人気絶頂で、プレヴェールは共同脚色の映画『太陽はいつも正しい』で自分が書いた主題歌<君はとても美しい>を主演のロッシの歌でと望んだのでした。もうひとりはエディット・ピアフです。プレヴェールは彼女のために<心の叫び>1960を書きます。五月革命1968のときにも<彼らは閉ざす!>のなかにこの語句を入れておりました。(2017.4.18) 後藤光夫©

ジャック・プレヴェール通り2012.4.11(詩人の祥月命日)
J.Prevert (1900.2.4~77.4.11)
Rue Jacques Prevert 2012.4.11(わたしの誕生日)
ロベール・ドアノー写真展 2012.4 パリ市庁舎