夢のあとに(5)パリ8 区 アンバサドゥール エトワール

 シャンゼリゼ大通りは凱旋門~コンコルド広場間の並木と繁華な商店街です。ベル・エポック後はグラン・ブルヴァールにかわりパリの中心になりました。ロンドンの通り名の歌をシャンソンにして<オー・シャンゼリゼ>と国産らしく世界じゅうに流行らせるとはいかにもパリらしい。

 コンコルド広場に近い《エスパス・ピエール・カルダン》1970,673席は、有名デザイナーが演劇・音楽などの実験劇場にしたもので、シャルル・デュモン1976,13[ピアフ没後50年]、ピエール・バルー1983、グレコ83などが公演。もとはカフェ・コンセール《アンバサドゥール》1849~1929,1500席で、ベル・エポック前から終焉までシャンソンの中心でした。マネや印象派が活躍した時代で、ドガは1875~78歌手を多く描きました。スタンランの絵1892とF.バックの絵1895に描かれたギルベールとロートレックの絵1892のブリュアン、それにマイヨール1904、ミスタンゲット、シュヴァリエ、ダミア1912らが出演。カフコンス閉鎖後のラジオ番組「若者のミュージックホール」1935にはピアフ、トレネ、A.カプリ、リナ・マルジーとG.ゲタリ38、L.ドリール39らが出演。

 モンテーニュ大通り15《シャンゼリゼ》劇場1913,1905席。黒人レヴュー25、M.デュバ33、ギルベール35、シュヴァリエ48,54[引退表明]、他会場のあとここで引退興行68終了。J.ドゥーエ夫妻61、N.ムスクーリ73,74、H.マルタン78、F.ギャル78、アダモ80、N.クロワジル82、ジャンメール85、トレネはソロ・デビュー50周年1987*をラ・メール、詩人の魂、夢の国はどこに、ふしぎな庭など自作曲で。J.クレール99、マキシムL.F.02、J.バーキン03、ムスタキ09、グレコ09。

 シャンゼリゼを上り右へコリゼ通り34、3度目の移転先《屋根の上の牡牛》(現レストラン) 1921,49は、詩人コクトーと作曲家D.ミヨーが設立し、プーランクほか国内外の名士たちのたまり場でした。マリアンヌ・オスワルドがパリ・デビュー1934し、アニエス・カプリもデビュー36。オスワルドは<抱きしめて>を創唱・録音、カプリは劇団「グループ十月」でジャック・プレヴェールと親交がありジョセフ・コスマ曲の<鯨捕り>と<バルバラ>を創唱、<学校の帰り道>を朗唱します。彼女らはプレヴェールら詩人の作品をキャバレなどポピュラーの分野に持ちこみ、彼をシャンソン作家として世に知らしめた恩人です。出演はほかに先輩ダミアと常連イヴォンヌ・ジョルジュ、J.サブロン、レオ・フェレ、G.ユルメール、C.ソヴァージュ、49年にグレコが歌手デビューしました。

 凱旋門から北東方向ワグラム大通り39《アンピール》劇場跡のミュージックホール1924~44,3000席でブリュアン最後のステージ1924、Y.ジョルジュ28、M.デュバ31、ほかにギルベール、ダミア、シュヴァリエも出演しました。映画館1931後、R.マリアーノのカジノ・モンパルナス1945から移したオペレッタ『カディスの美女』49、アルレッティのレヴュー50があり、また映画館に。

 ワグラム大通り35《エトワール》劇場1928~64,1500席いまは家具店。大戦中M.オスワルド33、ミスタンゲット、戦後ピアフ(モンタン、P.マラール)1945.2、イヴ・モンタン45.10~11、46.9、47.10、48.9(リーヌ・ルノー)、49.11~12<枯葉><愛し合う子供たち>を公演で初めて歌う、51.3~6は記録破り、53.10.5~54.4.5*のプログラムにはプレヴェールが詩を寄せました「赤い幕があがる…光る目 はじける微笑 手のジェスチャー 脚の踊りで 背景を描き出す」、アラゴン夫妻の来場も話題になり半年間で20万人という前人未到の伝説的な記録、58.10~59.3*、62.11~63.4。M.デュバ46、ルネ・ルバ46、トレネ47好評,51,52,61客が大感激、マルジャンヌ49、ダミア50、J.サブロン50。

 フォブール・サントノーレ252《サル・プレイエル》1927,3000席では、トレネ1947,99最終、ダミア「シャンソンの30年」49大成功、ピアフ50、ルネ・ルバ50、J.フランソワ53、H.サルヴァドール54,2007、L.ボワイエ「シャンソン・ダムール25年」55、N.ムスクーリ95、F.ギャル05、グレコ07、S.ヴァルタン50周年11など。《サル・ガヴォー》45 rue de la Boetie 1906,1020席はプレイエル、シャンゼリゼと並ぶクラシックの殿堂、J.フランソワ1981、加藤登紀子2015あり。

 北の<モンソー公園で>イヴ・デュテイユ詞曲はギターをつまびき、若い恋人たちが授業をサボってデートした思い出を歌います。園地をめぐり歩けば、ショパンとサンド像、モーパッサン像、ローマ廃墟ふう円柱と池などのほか、たわむれる子供たちには目を細めるでしょう。 (2019.5.18)  後藤光夫©

エスパス・ピエール・カルダン デザイナー経営の劇場
往時のアンバサドゥール 近くのホテルに大使たち宿泊
屋根の上の牡牛 キャバレだったが、いまはレストラン
エトワール劇場はここにありました(所在は17区)
モンソー 中央奥にショパンとジョルジュ・サンド像
ローマ廃墟ふう円柱と池 こちらもモンソー公園