歌めぐり旅(19)サルタンバンク(サーカス)

 芦野宏のカバーする曲がいちばん多い歌手は、イヴ・モンタンでした。モンタンは前期におけるパリのワンマンショーはエトワール劇場(1300~1500席)が多く、初回は1945.10~11で最後が6回目の1962.11.13から6カ月間(1月に短い中断)、と薮内久の年表からわかります。そのなかで、当初3週間と予定された4回目が1953.10.5~54.4.5と6カ月にもわたる超ロングランとなり、空前の画期的なもので伝説になりました。アラゴン&エルザ夫妻も早ばや足を運んだこのリサイタルには、サン・ポール・ド・ヴァンス滞在で不在のプレヴェールがプログラムに詩をよせています。

 黒い幕の前で、赤い幕があがる/黒幕の前には/イヴ・モンタンが/光る目 はじける微笑 手の
 ジェスチャー 脚の踊りで/背景を描き出す …(柏倉康夫訳)

 歌われた曲目は全部で25曲、芦野のカバー曲は第1部のパリのバラード、パリのフラメンコ、頭にいっぱい太陽を、第2部の指揮者は恋している、ア・パリ、枯葉、セ・シ・ボン、計7曲です。わたしがアナログ時代に録画した曲数で、シャンソン歌手別の1番は芦野宏が約600曲、2番のモンタン約250曲、クラシック歌手では鮫島有美子の約120曲が最多でカルーソからネトレプコまであり、音源を加えたらシャンソンほかのポピュラーとオペラ・歌曲などクラシックまで歌手は数百人、曲が数千曲にのぼります。ですからAV鑑賞会ではYouTubeなしに十分まかなえるのです。

 <サルタンバンク>はモンタン・リサイタル第1部で歌われました。そのLPの表記は<サーカス>です。詩はギヨーム・アポリネール、詩人や仏文学者は軽業師、旅芸人、辻芸人などと訳しております(堀口大学、薩摩忠、滝田文彦)。ピカソ「旅芸人」1905がイメージされるでしょうか。

   軽業師  アポリネール詩、ルイ・ベシェール曲、窪田般彌訳
 野原のなかを道化師たちが/菜園に沿って遠ざかっていく/さびしい旅籠の戸口を後に/教会も
 ない村から村を回って 子供たちが先に立って歩く/他の者たちは夢みながら後につく/……

 モンタンのジェスチャーたっぷり飛んだり跳ねたりの熱演は、1956モスクワ公演(映画『シャンソン・ド・パリ』)、フランスでのカラーTV出演などで見られます。作曲者はピアノほかの楽器奏者ルイ・ベシェール(1913-2011)で、プレヴェールの音楽担当のひとりでした。弟ピエール監督『美しきパリ』の音楽、モンタン歌のランボー詩<谷間に眠る者>、セルジュ・レジアニ歌のミラボー橋、死刑者のバラード、ボリス・ヴィアン詩の<アルチュールよ肉体をどこに>も作曲しました。

 辻芸人ということばからは昔の芸人やいまの作品を連想します。中世では芸は曲芸・サーカスだけでなく歌もうたうジョングルール、トルバドゥールらがいて、近現代ならヴォケール、ピア・コロンボ、イヴ・デュテイユほかが彼ら大道芸人を歌っているのです。ベコー作曲<旅芸人のバラード>やエディット・ピアフがうたう<旅芸人の道>は、歌詞がなんとアポリネールのこの<サルタンバンク>に似ていることでしょう。堀口大学訳詩集の解説は「アポリネールの影響は、…より多く外形的に行われたかもしれない。人々は…模倣詩を多く作り、…」と語っているのですが。

   旅芸人の道   ジャン・ドレジャック詞、アンリ・ソーゲ曲、橋本千恵子訳
 今夜夢にごらん/あの銀のスパンコールのきらめきを/人々の心や頭の中の退屈を消してくれた
 /あのきらめきを  けれど影は/道の曲り角で消えてしまう/神様だけが知っている/明日ど
 こにいるか/旅芸人達がどこにいるのか/彼等は去って行く/夜の闇の中を

 H.ソーゲ(1901-89)はアマチュア精神を尊重する《アルクィユ楽派》の作曲家ですが、上の曲はサティに献呈されローラン・プチが上演した代表作のバレエ音楽『旅芸人』からとられました。あの<枯葉>みたいに。「プロローグ」から終曲「寄付集めと出発」までが2部で構成され、29分ほどですが、歌詞が付されたのは終曲の部分(3:12)です。作詞のジャン・ドレジャック(1921-2003)は、芦野もうたう一本指のシンフォニー、パリの空の下、ラ・シャンソネット、など。 (2017.11.18) 後藤光夫©

 

イヴ・モンタン<サルタンバンク>をうたう
現代の大道芸人 サン・ジェルマン・デ・プレにて
アンリ・ソーゲ: 旅芸人 パリの風景
アンリ・ソーゲの墓